第4回:進化する東欧ロック

第4回:進化する東欧ロック

前回では60年代にロックンロールが流入し、様々なバンドが誕生していく経緯を紹介しました。

しかし本当に東欧ロックが面白くなるのは70年代!東欧のオリジナリティを獲得し、独自の進化を遂げていくのです。その進化のカギを握るのが、ジャズ・ミュージシャンの存在。各国経緯は違えど、東欧ロックはジャズの力を借りて、大きく発展していくことになるのです。

ジャズ化するロック、ロック化するジャズ

Big-beat発祥の地、ポーランドでいち早くジャズに接近したのが、前回紹介したNiebiesko-CzarniとCzerwono-Czarniという最初期のBig-beatバンドのメンバーからなるPolanie。国内で初めて本格的R&Bを演奏したバンドです。そんな彼ら唯一のアルバム1曲目を作曲したのがZbigniew Namysłowski。連載第二回で紹介した、ポーリッシュ・ジャズ最重要人物のサックス奏者です。

POLANIE – A ty pocalujesz mnie

 Polanie
「A Ty Pocałujesz Mnie」
ポーランド 68年

本格的なブラック・ミュージックを志向する彼らが、ジャズに接近したのは当然のことかもしれません。

結果、この曲はBig-beatで最もグルーヴィな曲となりました。

Polanieは68年に解散してしまいますが、そのドラマーAndrzej Nebeskiが翌年結成したのがGrupa ABC。彼らはBig-beatから脱却してジャズの要素を取り入れ、独自の音楽性を持ったバンドとして活躍します。

Za dużo chcesz (feat. Halina Frąckowiak)

 Grupa ABC
「Za Dużo Chcesz」
ポーランド 70年

同じころジャズの要素を導入していったのが、山岳地帯でポーランドの伝統を色濃く残しているPadhale出身のSkaldowie。彼らは民族音楽の要素も取り入れたフォーク・ロックを演奏し、Big-beatとは違う切り口で頭角を現してきたバンドです。69年頃からジャズに接近し、72年のアルバムでは伝統音楽とロック、ジャズを高次元で融合させたサウンドを完成させました。

Juhas zmarł

Skaldowie
「Juhas Zmarł」
ポーランド 72年

地元から見えるクリヴァン山をテーマにしたコンセプチュアルなアルバムで、ジャケットも美しい、アートな一品です。

逆にジャズからロックへと移行したバンドも。

66年にジャズ・バンドとして結成されたDżambleは、実力派ヴォーカリストAndrzej Zauchaが加わった頃からロックの要素を取り入れ人気を博します。71年リリースの唯一のアルバムは、ジャズの演奏で培った洗練されたグルーヴを持った傑作!

Dżamble – Muszę mieć dziewczynę

  Dżamble
「Muszę Mieć Dziewczynę」
ポーランド 71年

Andrzej Zauchaのソウルフルな歌唱に、ジャズ・ヴァイオリニストMichał Urbaniakが気品を添える名曲です。

ジャズ・ロックの国、チェコ

ジャズとロックの接近は、チェコでも起きています。

Big-beatブームの真っ只中、いち早くジャズの要素を取り入れたのがThe Rebelsです。唯一のアルバム「Šípková Růženka(意味:眠れる森の美女)」は眠れる森の美女を題材にしたコンセプチュアルな内容。世界観を表現するために導入したオーケストラを指揮していたのが、ジャズ界の鬼才Václav Zahradníkでした。

The Rebels – Šípková Růženka (1968)

 The Rebels
「Šípková Růženka」
チェコ 68年

フルートを印象的に用いたオーケストラが、世界観を的確に表現していますね。

実はこのVáclav Zahradníkこそが、チェコでジャズとロックを融合させた黒幕。

70年にはビッグ・バンドでロックを演奏する「Jazz Goes To Beat」なる企画を実行。今度はジャズ側からのロックへの接近を試みます。

Václav Zahradník Big Band – Jazz goes to beat (1969) – vinyl, celé album
(33:07~)

Václav Zahradník Big Band
「Mother Crow」
チェコ 70年

ジャズの範疇を抜け出し切れていないものの、中盤で登場するオルガンの激しいサウンドはロックそのもの。Yesterdayなどロックの名曲も多くカヴァーされており、オリジナル曲と半々といった感じで収録されています。

こうして彼が礎を築いたロック×ビッグ・バンド・ジャズという手法は、チェコのジャズ・ロックの重要なアイデンティティとなっていきます。

それを決定づけた作品が、Blue Effect「Nová Syntéza」。Blue EffectはBig-beatバンド、The MatadorsのヴォーカルVladimír MišíkとギタリストRadim Hladíkが新たに結成したバンドです。まずはその3rdアルバムをお聴きください。

Blue Effect – Nová Syntéza (FULL ALBUM, jazz-rock/psych big band, Czechoslovakia, 1971)
(9:00~)

Blue Effect
「Směr Jihovýchod」
チェコ 71年

ジャズとロックが高温核融合を起こし、重厚なブラス、ヘヴィなドラム、ハードなギターが混然一体となって迫りくるサウンドに終始圧倒される傑作!

ビッグ・バンドを指揮するのは、連載第一回で紹介した大衆オーケストラTOČRから派生したJOČRです。

JAZZとBEATが重なりあう、印象的なジャケット・デザインも素晴らしいですね。

少し遡り、Blue Effectがジャズとの融合を模索し始めたのは70年から。この年、同じくジャズ・ロックを追求するバンドJazz Qと合同でアルバムをリリースしています。ここではOrnette Colemanに影響を受けた、フリー・ジャズ的アプローチを見ることができます。

Blue Effect & Jazz Q Praha – Návštěva u tety Markéty, vypití šálku čaje (1970) HQ

Blue Effect & Jazz Q Praha
「Návštěva U Tety Markéty, Vypití Šálku Čaje」
 チェコ 70年

ジャズへの接近の背景には、ロックへの規制と反比例してジャズへの規制緩和が行われたこと、歌詞が厳しく検閲されるためインストでの表現を模索せざるを得なかったことが関係しているようです。結果、ヴォーカルだったVladimír Mišíkはバンドを去ることになります。

さて、Jazz QのリーダーMartin Kratochvílはプロデューサーとして、別のアプローチのジャズ・ロックを追求していくこととなります。

彼のジャズ・ロック・サウンドは様々なジャンルで活かされ、78年には歌謡界のスターHelena Vondráčkováのアルバムをプロデュース。

Neříkej

Helena Vondráčková
「Neříkej」
チェコ 78年

Martin Kratochvílが開発した、ダークでアヴァンギャルドなジャズ・ロック・サウンドも、チェコで多くのフォロワーを産むことになります。

76年、77年にはジャズ・ロックのバンドを集めた、「Jazzrocková Dílna」なるコンピレーションもリリースされました。

Superstimulátor

 Energit
「Superstimulátor」 
チェコ 77年

ちなみにエレピを弾くのは、この後チェコを代表するジャズ・ミュージシャンになるEmil Viklický。ちなみに2019年には来日もしていましたね。

東ドイツでのジャズ・ミュージシャンの台頭

東ドイツでは65年、Big-beatへの規制が強化されたことにファンの若者が抗議し、ライプツィヒ・ビート・デモが勃発。当局が鎮圧し、264人の逮捕者が出ました。

こうしてBig-beatシーンが終了した後、新たに台頭したのがKlaus Lenz、Günter Fischerといったジャズ・ミュージシャンや、SOKというジャズ・ロックのバンドです。

特に活躍したのが、東独ジャズ・シーンを牽引し、国内最高峰のジャズ・ミュージシャンを集めたKlaus Lenz Big Bandを率いてきたKlaus Lenz。このビッグ・バンドには、後に西ドイツへ移住して有名になる、かのJoachim Kühnも参加していました。

そんな彼らによる、新しい若者向け音楽の誕生を告げたのが「Das Zündet(意味:点火)」というコンピ。その副題にはTanzmuzik für Junge Leute(意味:若者向けダンス・ミュージック)と銘打たれています。

Klaus Lenz Sextett – Bunte Bilder

Klaus Lenz Sextett
「Bunte Bilder」
東ドイツ 68年

演奏はKlaus Lenz Sextettで、作曲はGünter Fischer。この時点では、まだジャズの領域を脱し切れていませんが、ブルージーなメロディやビート、オルガン・サウンドにロックの要素を感じ取ることができますね。

この翌年Klaus Lenzが結成したのがOrchester Klaus Lenzで、唯一のアルバム「Für Fenz」を発表。

Frank Schöbel – Sei So, Dass Ich Dich Lieben Kann

Orchester Klaus Lenz
「Sei So, Daß Ich Dich Lieben Kann」
東ドイツ 70年

ヴォーカルはFrank Schöbelで、作曲はGünter Fischer。映像で踊り狂う若者と、高速で打ち鳴らされる激しいビートはロックそのもの。そこにKlaus Lenzがビッグ・バンドで培ってきた、熱いブラス・サウンドが加わったことで、東独オリジナルのソウルフルなジャズ・ロックの誕生を見ることができます。

Orchester Klaus Lenzは一年足らずで解散しますが、同じく新しいロックの形を模索していたModern Soul Bandと合併し、Klaus Lenz Modern Soul Big Bandが誕生。その後、Klaus Lenz Big BandとModern Soul Bandに再分裂しますが、この頃には追求していたブラス・ロックが完成。

ソウルフルすぎるヴォーカリスト、Christiane UfholzとKlaus Nowodworskiのデュエットは凄まじいの一言!

黒人が自由に乗れる列車を夢見たヒューズの詩に楽曲を付けた、オリジナル曲です。

Klaus Lens – freedom train.wmv

Klaus Lenz Big Band
「Freedom Train」
東ドイツ 75年

さて、解散したOrchester Klaus Lenzのメンバーにより結成されたのが、伝説のジャズ・ロック・バンドSOK。

東ドイツで最も影響のあるバンドとして活躍しますが、残念ながらレコードを全く制作しないまま解散してしまいました。数年前、ドイツの再発レーベルによってようやく当時の音源がレコード化されています。

またKlaus Lenz人脈で忘れてはいけないのがGünther Fischer。東独一の作曲家、編曲家として数々の名曲を生み出しています。そんな彼が、Klaus Lenz Big Bandにも参加したUschi Brüningと組んで作り上げた傑作アルバムがこちら。

Uschi Brüning – Welch Ein Zufall

Uschi Brüning Und Das Günther Fischer-Quintett
「Welch Ein Zufall」
 東ドイツ 75年

Günther Fischer作品はどれも最高なので、見つけたら即買いしてください。

もう一人重要なのがReinhard Lakomy。東独随一のキーボディストであり、ジャズ・ロックの良作を生み出したのち、電子音楽の分野でも活躍する人物です。

Reinhard Lakomy – Jede Blume blüht nur einmal auf

Reinhard Lakomy
「Jede Blume blüht nur einmal auf」
東ドイツ 73年

ちなみに先程のUschi Brüningのアルバムでも彼は演奏しています。

長くなりましたが、Big-beat終焉後の音楽シーンは彼らを中心に広がっていったといって間違いないでしょう。

ではなぜ彼らがロックを演奏することができたのか…。

ここは私の推測にすぎませんが、この理由を物語っているのがこちらのレコードだと思います。

Oktoberklub – Ein neues Lied

Oktoberklub
「Ein Neues Lied」
 東ドイツ 73年

Oktoberklubとは社会主義政権を礼賛する歌や、民謡のような健全な歌を歌う団体で、いわば政府公認のエンターテインメント集団。ライプツィヒ・ビート・デモの翌年に、FDJ(自由ドイツ青年団)によって親社会主義的志向を要求する歌唱運動「Singebewegung」が推進され、その一環で誕生した団体です。

メンバーは流動的で、大抵素人のコーラス隊のような編成なのですが、この73年盤だけは様子が違うんですね。なんとGünther Fischer-QuartettとSOKが参加しているのです。具体的にどの曲を演奏しているのかクレジットはありませんが、先程の演奏がSOKなことはサウンドから間違いないでしょう。

つまり、Günther FischerやSOKといった新しいロックの旗手は政府のお墨付きを得たミュージシャンだったわけです。Oktoberklubは「Festival des politischen Liedes(意味:政治歌謡祭)」なるものも主催しており、その参加者を見ることで、政府と距離の近いミュージシャンを確認することができます。

もちろん、これらの運動に参加していても政府に距離を置いていたミュージシャンもおり、例えば後に反政府的として活動禁止を命じられたKlaus Renft Comboの作詞家Kurt Demmlerなどがいます。

しかし、政治的主張はさておき、東ドイツで生まれたジャズ・ロックはどれも素晴らしいので是非聴いてほしいですね。

多様化するEgyüttes文化

前回の連載で、ハンガリーではロックの流行後、歌手のバックやサントラの演奏などをこなす、セッション・ミュージシャン的側面の強かったEgyüttes自体が人気を博し注目されていく過程を紹介しました。

その後、自分たちのアルバムを制作する機会を得たEgyüttesは、各々の音楽性を追求。多種多様なEgyüttesが誕生していきます。

例えば、フルートをロックに吹きまくり、東欧版Jethro Tullと言えるスタイルを築いたCorvina。

Csúnya Panni

Corvina
「Csúnya Panni」
ハンガリー 73年

ジャズ・ロックを追求し、東欧グルーヴ的に最も成功したのがSyriusです。1stアルバムではアヴァンギャルドなインストのジャズ・ロックを演奏していましたが、2ndでは音楽的にはわかりやすくなった分、グルーヴに磨きをかけ、東欧グルーヴ随一の傑作に仕上がっています。とにかく聴くべし!

Széttört álmok

Syrius
「Széttört álmok」
ハンガリー 76年

スーパー・バンドも誕生します。それが、OmegaやMetroなどの人気Együttesの主要メンバーで結成されたLocomotiv GT。人気も実力もハンガリー随一で、海外進出も果たした超大物Együttesへと成長します。

せっかくなので、4枚目の海外進出アルバムから一曲ご紹介。

Locomotiv GT – I Had Life

Locomotiv GT
「I Had Life」
ハンガリー 80年

実はこの曲、オリジナルのマジャール語版もあり、演奏も異なるのですが、歌も演奏もこの英語版の方が格段にいいんですよね。たいてい東欧のバンドが海外で録音すると慣れない環境のせいかクオリティが下がるのですが、さすがLocomotiv GTです。ちなみにマジャール語版は「Veled, Csak Veled」というタイトルなので気になる方は調べてみてください。

さて、二回にわたり東欧のロックについてご紹介しましたが楽しんでいただけましたでしょうか。もっと紹介しておきたいところですが、またの機会に。

それでは次回もよろしくお願いします!

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