第3回:東欧ロックの誕生

第3回:東欧ロックの誕生

東欧グルーヴの魅力に迫る連載、第3回はいよいよ東欧ロックについて。

前回、前々回と東欧のジャズについて解説してきましたが、東欧にはロックも良いものがたくさんありますよ!

例えばこれ。

 Michal Prokop & Framus 5
「Město Er」
チェコ 71年

歪んだギターにソウルフルな歌声というロックの魅力に、ジャズのエッセンスも加わったチェコらしいアヴァンギャルドな名曲です。

このように70年代には東欧に多くのロック・バンドが誕生し、ロック・シーンが盛り上がっていくのですが、60年代は、西側から流入してきたばかりのロックを演奏することは、そう簡単ではありませんでした。

今回はそんな中でも東欧でロックが演奏され、シーンが誕生するまでの歴史を辿っていきましょう!

Big-beatと呼ばれたロックンロール

西側のロックンロールの盛り上がりが東欧に到達した60年代。スターリンの死後とはいえ、ロックンロールの言葉をそのまま使用するのはさすがに難があったようで、Big-beat(Bigbitとも)の代替語で呼ばれるようになりました。Big-beatの言葉を生み出したのは、ポーランドのジャーナリストでプロデューサーだったFranciszek  Walicki。

彼はポーランド最初のロックンロール・バンドをいくつか結成させ、自分は作詞として曲を提供しました。そんな彼が3番目に生み出したバンドが、Niebiesko-Czarni(意味:青と黒)。このバンドには、後に独立してポーランドで最も有名なロッカーになるCzesław Niemenが在籍していました。そんなCzesław Niemenが作曲したのがこちら。

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 Niebiesko-Czarni
「Hej Dziewczyno Hej」
ポーランド 66年

ソウルフルな歌唱にゴキゲンなピアノが楽しい、中々の名曲です。

Big-beatの流行はチェコ・スロヴァキア、東ドイツにも広がり、多くのバンドが誕生していきました。

東ドイツのBig-beatシーンを代表するのが、Franke-Echo-Quintett。まずはこのヴィジュアルを見てください。

 Franke-Echo-Quintett
「Eskimo」
東ドイツ 65年

三本のネックを生やしたギターを掲げるのは、東独Big-beatシーンで「マイスター」と呼ばれたDieter Franke。西側の楽器の輸入が難しく、エレキ・ギターは高額で買えなかった時代でしたが、彼はエンジニアとしての技術を活かして古いマンドリンを改造し、このギターを制作したとのこと。

東独Big-beatでもう一つ紹介したいのが、50年代から活動する老舗バンド、Die Amigos。

サックスとコーラス入りのサウンドが日本のGSにも通じる、東欧グルーヴ黎明期の名曲です。

Die Amigos
「Gestern Vor Der Tür」
東ドイツ 65年

残念ながら、東ドイツでは66年から政府の規制が厳しくなり、約300存在していたBig-beatバンドの多くが解散を余儀なくされました。原因は、西ベルリンで65年に開催されたThe Rolling Stonesのライブにて、暴動が発生したこと。
この後、東ドイツでは別の方向からロックが発展してくことになりますが、これは次回ご紹介しましょう。

チェコ・スロヴァキアでは、最初のBig-beatバンド、Olympicが62年に結成。64年には、Big-beatを紹介する計5枚の7インチがリリースされ、チェコ・スロヴァキア最初のBig-beatの録音となりました。

Karel Gott & Olympic
「Adresát neznámý(From me to you)」
チェコ 64年

大胆なタイポグラフィのデザインが素敵ですね。シリーズは全て西側のカヴァー。紹介したのは、Olympicと大スターKarel Gottによるチェコ語版「From me to you」です。本家The Beatlesは63年4月にこの曲をリリースしているので、1年後のカヴァーと考えると、中々早く情報が伝わっていたことが分かりますね。

Olympicは68年に、全曲オリジナルの1stアルバムを発表。ここからチェコ産ロックの歴史がスタートしたと言っていいでしょう。

Olympic
「Dědečkův duch」
チェコ 68年

ハンガリー産ロックの誕生

連載第1回で、ハンガリーのあらゆる大衆音楽を演奏するバンド、Együttesが西側の流行を取り入れて進化していった結果、ジャズからロックへと音楽性を変化させた経緯を紹介しました。

しかし音楽の流行がロックになると、最初からロックを志したEgyüttesが誕生していきます。それが、Omega、Metro、Illésの三組です。

彼らの人気によって生まれたのが、上記三組の演奏を使ったロック・ミュージカル映画「Ezek a fiatalok(意味:若者たち)」。そのサントラは、ハンガリー初のロック・アルバムとなりました。

 Illés
「Sárga Rózsa」
ハンガリー 67年

東欧グルーヴ的にはまだまだですが、The Beatlesの影響を感じる曲ですね。「I Want To Tell You」あたりと非常に似通っている気がします。

グルーヴィなロックが発見され始めるのが、69年頃。

上述のMetroのシングルをご紹介しましょう。

Metro
「Hómadár」
ハンガリー 69年

時折ジャジーになるピアノとキャッチーなサビが素晴らしい名曲です。

連載第一回で紹介した通り、元々は歌手のバックやサントラの演奏などをこなす、セッション・ミュージシャン的側面の強かったEgyüttesですが、彼らの登場によりEgyüttesそれ自体に人気が出るようになります。

これによって、Együttesはそれぞれの音楽性を追求し、多種多様なEgyüttesが誕生していくこととなるのです。それぞれのオリジナル・アルバムもリリース。ハード・ロック、カントリー、ジャズ、ブルースなど…。ハンガリーの大衆音楽が大きく多様化することとなります。

ソ連と共鳴するブルガリア

東欧の中でもソ連と政治的距離が近かったブルガリアでは、ロックに関してもソ連式に倣うこととなりました。ソ連式ロックとは、ВИА(Вокально-Инструментальный Ансамбль=Vocal Instrumental Ensemble)のこと。

その特徴は、かなりの大所帯で、ヴォーカルが複数人いるのはもちろん、管楽器やパーカッションの人員も多数いて、重厚なアンサンブルを聴かせてくれることにあります。

そのВИАスタイルを実践しているのが、第一回でも触れたСофия。どうですか、この大所帯っぷり!

Оркестър София
「Имам Земя」
ブルガリア 73年

Софияはソ連でもアルバムをリリース。しっかりВИА Софияの名称になっています。

ここではSantanaカヴァーなどを披露!

 ВИА София
「Большой Ритм(Se a cabo)」
ブルガリア 76年

サイケ天国、ルーマニア

60年代のルーマニアでのロックに対する規制は、意外にも東欧の中では比較的緩いものでした。それでも「ロック」という名称を使うのは難しく、「formaţii de chitare electrice(意味:エレキ・ギターのバンド)」と呼ばれていました。当時のバンド名も「Formația ~」のような形が多いですね。

それでも、国営レコード会社(Electrecord)が売上のために西側のカヴァーを推奨しており、コンサートでのレパートリーも20%はルーマニア語以外で歌ってもOKというルールがあったことで、比較的ロックを演奏することが容易でした。そのためルーマニアは東欧随一のサイケ天国!サイケ全盛期の60年代に、ロックを演奏できたから必然ですね。

早速、ルーマニアを代表するバンド、Formația Sincronの曲をご紹介。

 Formația Sincron
「Pocnind din bici」
ルーマニア 71年

エスニックなダバダバ・コーラスから、The Beatles「Hey Bulldog」丸パクリのリフへ突入。微笑ましくも、ファンキーでサイケな名曲です。ちなみにこちらのアルバムは、ルーマニアのバンドを紹介するコンピで、東ドイツでもリリースされたもの。写真は東ドイツ盤ですが、微妙に内容が違うので要チェック。名曲尽くしですよ!(ちなみに本コンピのみ収録の曲多数)

さて、サイケ天国だったルーマニアも71年の「7月テーゼ」による文化統制が起きると、ロックも当然規制の対象に。英語での歌唱の禁止、西側カヴァーの禁止を求められました。しかしすでに、民謡のロック化や、オリジナル曲の制作によって、独自路線を進んでいたルーマニアのロック・シーンにとっては時すでに遅し。規制強化後も、ロックは進化を遂げていくのです。

さて、紹介するのは、そんなルーマニア民謡をロックに魔改造したパイオニア、Formația Savoyの一曲。

Formația Savoy
「Ciobănașul」
ルーマニア 70年

ルーマニアの伝統的な笛、ナイまで導入した、ご当地サイケの名曲です!

Formația Savoyももちろん、7月テーゼを乗り越えて活動を継続。最後に77年のセカンド・アルバムから一曲お届けしましょう。

 Formația Savoy
「Vulpea」
ルーマニア 77年

以上、今回の連載では60年代に東欧にいかにしてロックが誕生していったかをお届けしました。

次回はロックがいかに発展し、オリジナリティを獲得していったか、さらに掘り下げていきますのでお楽しみに!

~お知らせ~

7/20(月)チェコ・ナイト@神楽音

チェコの音楽と絵本とアニメで綴る、チェコ尽くしの夜が神楽坂のバー、「神楽音」にて開催!
ジャズ、ロック、テクノ、歌謡曲…とビロード革命以前に存在したチェコの大衆音楽を、当時のレコードを聴きながら振り返ります。
当日は席でチェコの絵本が楽しめるほか、数量限定でチェコビールも入荷!
そして…貴重なレコード販売もあります!!
ぜひお越しくださいませ。

7/20(月)
Open19:00 / Start19:30
Door ¥1,500+1order

出演:
指田勉
四方宏明(共産テクノ)
ヨハネス市来

会場:神楽音
https://kagurane.com/schedules/view/1364

※注意※
当日は消毒液の用意、バーカウンターにビニールカーテン設置、距離を確保しての着席など、感染予防に充分注意した開催となります。
お客様は、お席以外ではマスク着用と、事前の検温をお願いいたします。
着席でも楽しめるよう、チェコの絵本を用意していますので、なるべく座って音楽をお楽しみください。
レコードの購入は、現金のみとなります。

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