第8回:コーラス・グループの世界
60年代から80年代末までの東欧大衆音楽史を解説してきた本シリーズですが、これはまだまだ東欧グルーヴの世界の入り口。今回からはよりディープな世界にご案内していきましょう!
ところで皆さん、東欧と言えば何となくコーラスや合唱のイメージがあるのではないでしょうか。ブルガリアン・ヴォイスなんか有名ですもんね。
実はジャズやロックのシーンでもコーラスが欠かせないのが東欧。コーラス文化が強く根付いている東欧では、あらゆる大衆音楽にコーラスが盛り込まれることになったのです。
まずはブルガリアのコーラス・グループ、Studio B(Студио В)をご紹介!
Студио В
「След години」
ブルガリア 81年
彼らはブルガリアの大衆オーケストラであるЭОБРТ(連載第1回でも紹介)専属のコーラス・グループで、歌謡祭Златният Орфей(連載第5回を参照)でも歌手のコーラスを受け持った精鋭集団。単体でも活躍し、計3枚のアルバムをリリースしています。
このように、東欧のコーラス・グループは大衆オーケストラと同じように、様々な大衆音楽のバック・コーラスとして活躍する、セッション・ミュージシャン的側面も持ち合わせていたのです。
今回はそんな東欧のコーラス・グループたちの活躍を見ていきましょう。
コーラス大国ポーランド
まずは最もコーラス・グループが活躍した国、ポーランドから。実はポーランドはブルガリア以上にコーラス文化が根付いている国なのです。
そんな国を代表するグループが、Alibabki。63年にスカウト・ソングを歌うグループとして女性6人で結成された彼女らは、メンバーを少しずつ入れ替えながらも80年代まで活躍。単体での活動はもちろん、様々な歌手をバック・コーラスとして支えていきます。
彼女らの2ndアルバムから一曲ご紹介しましょう。ドラマーCzesław BartkowskiやサックスJan Ptaszyn Wróblewskiら、ジャズ界の巨人で固められた強固なグルーヴに、彼女らの爽やかな歌声が乗る名曲です。
Alibabki
「Łagodny Pan Feeling」
ポーランド 77年
余談ですが、彼女らが65年にリリースした「W Rytmach Jamajca Ska(意味:ジャマイカのスカのリズム)」は、国内最初のレゲエ/スカ作品となっており、その功績が認められ、2015年には発売50周年を記念して、オストラダでのレゲエ・フェスに出演しています。気になる方は調べてみてください。
彼女らほどではありませんが、66年結成の混声グループPartitaも多くの歌手のバックで活躍しました。残念ながら10年ほどで解散してしまいましたが、彼らのアルバムのグルーヴは見逃せません。
Partita
「Pytasz mnie co Ci dam」
ポーランド 76年
一方、ポーランドではジャズをルーツとし、より芸術性を追求したグループもいました。その代表格が、有名なNovi Singersです。Noviとは「New Original Vocal Instruments」の頭文字であることが示す通り、彼らは声を楽器として用いてジャズを演奏する画期的なコンセプトを持ったグループでした。
連載第2回で紹介した通り、彼らはPolish JazzシリーズVol.13に登場。さらに国外へと活動を拡げ、2ndアルバムは西ドイツのSABAレーベルよりリリースします。かのU.F.O.にもサンプリングされた名曲をお聴きください。
Novi Singers
「Secret Life」
ポーランド68年
彼らは数枚のアルバムをリリース、さらにジャズ・ミュージシャンのアルバムにゲスト参加したりと活躍しますが、中心人物Bernard Kawkaが73年にアメリカへと移住。先に移住していたジャズ・ヴァイオリニストMichał Urbaniakや、Steve Gadd、Anthony Jacksonら現地ミュージシャンと共演しました。
元々Novi Singersの代表曲でもあった、こちらをお届け。
Funk Factory
「Rien Ne Va Plus」
ポーランド 75年
さてもう一組ジャズ・シーンで活躍したのが、後にソロでも活躍するEwa Bem要する混声グループ、Bemibek。
彼らは単体での作品は少ないながらも、ポーランド・ジャズの巨人Krzysztof Komedaの作品に参加するなどインパクトのある活動で、伝説的存在となっています。
彼らが唯一残したレコード(4曲入りEP)から、Komedaとの共作を紹介しましょう。
Bemibek
「Matnia」
ポーランド 71年
彼らはこの後、メンバー交代を経てBemibemに改名。Bemibem名義で一枚のアルバムを残し解散します。
こちらのアルバムも素晴らしいので是非お聴きください。
Bemibem
「Podaruj Mi Trochę Słońca」
ポーランド 74年
ちなみにNovi SingersのBernard KawkaとBemibekのEwa Bemは89年に共演を果たしています。
Bernard Kafka Feat. Ewa Bem
「Maraton Tańca」
ポーランド 89年
各国のコーラス・グループ
続いて紹介するのはチェコ・スロヴァキア。70年結成の女声コーラス・グループJezinkyはその後Bezinkyに名前を変え、チェコとスロヴァキア双方で様々な歌手のバックで活躍していきます。単体でのアルバムは少ないながら、歌謡コンピやディスコ・コンピに収録された楽曲も多く、幅広い活躍を見せたグループと言えるでしょう。
彼女らがGustav Brom Orchestraとコラボしたアルバムは、ダイナミックなビッグ・バンド・サウンドに、スペーシーなシンセ、そしてBezinkyの分厚いコーラスが乗る、隠れた名盤になっています。
Bezinky
「Polnočný vlak」
スロヴァキア 75年
もう一組紹介しなければならないのが、アヴァンギャルドな音楽性を持ったC&K Vocal。彼らのアルバムは連載第4回で紹介したチェコ産ジャズ・ロック・シーンを築いた名プロデューサー、Martin Kratochvílによってプロデュースされ、他のグループとは一線を画す禍々しいコーラスを聴くことができます。
C&K Vocal
「Generace」
チェコ 77年
彼らは単体での活動の方が目立ちますが、主にジャズ・ロック系統のアーティストのバック・コーラスとしても活躍しています。
さて、お次は東ドイツ。ポーランドやチェコほど、大衆音楽にコーラスが溶け込んではいませんが、そんな中でも活躍したのがGerd Michaelis-Chor。主にイージー・リスニングの企画モノなどでコーラスを務めてきた彼らですが、74年リリースのアルバムでは、持ち味を最大限に活かした混声の爽やかなコーラスに、心地いいソフト・ロックが掛け合わさり、東欧のカーペンターズと形容できるようなサウンドになっています。
Gerd Michaelis Chor
「Es Bleibt Die Sonne」
東ドイツ 74年
彼らはディスコ・ブームの後Cantus-Chorに名前を変え、単体でも人気を博していきます。
このように、ディスコと相性の良いコーラス・グループは、80年代以降注目されて人気となるというのが定石になっています。
最後にルーマニアのグループを紹介しましょう。シンセサイザーの巨匠Adrian Enescuの弟子だった二人から成るGrupul Stereoは主に師匠関連の作品で登場するグループですが、清涼感のある歌声と師匠仕込みのシンセサイザー・サウンドが聴ける、押さえておくべき存在です。
彼女ら唯一のアルバムから一曲お届けしましょう。
Grupul Stereo
「Salut lumina vieții」
ルーマニア 85年
バック・コーラス名演集
さて、様々なコーラス・グループの曲を紹介してきましたが、彼らの活動のメインはやはりバック・コーラス。大物シンガーの歌謡曲からイージー・リスニングまで、様々な仕事を手掛けてきた彼らの名演を聴いていきましょう。
まずはチェコ・スロヴァキアのJezinky参加のこの曲。冒頭から煽りまくる分厚いコーラスはもはやメイン・ヴォーカルより存在感を放っています。
Helena Blehárová
「Uver jari」
スロヴァキア 76年
続いてはポーランドから、コーラス・グループの代表格、Alibabkiの名演を。最初はしっとりと歌ってムードを作りながら、サビでしっかりと盛り上げていく技術は、さすがプロ中のプロと言える技です。
Lucyna Owsińska
「Wyruszymy W Cztery Strony Świata」ポーランド 77年
もう一曲Alibabkiの名演を。連載第4回でも紹介したSkaldowieの79年作からで、実はSkaldowieとAlibabkiはSkaldowie I Ali-Babki名義で69年に共作を発表している盟友でもあります。
むさくるしい歌声が続く中、サビの大半をAlibabkiが担当することで、歌声が清涼剤として機能しています。
Skaldowie
「Nie Przypuszczałem」
ポーランド 79年
いかがでしたでしょうか?東欧のレコードを買う際は、是非コーラスの存在にも注目してみてください。
次回もよりディープな東欧グルーヴの世界をお届けしますので、お楽しみに!