ロック写真家David Arnoff INTERVIEW(後編) -Mr.Arnoff & Xfm-

ロック写真家David Arnoff INTERVIEW(後編)
-Mr.Arnoff & Xfm-

インタビュー後編では、ArnoffさんがTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTを知るきっかけにもなった、自らがDJをつとめていたラジオ局、Xfmについてのお話をご紹介します。
エピソード内に登場するバンドや楽曲についてはYouTubeのリンクを付けていますので、聴きながら読んでいただけるとより楽しめると思います!
また記事後編では、当時のイギリスでラジオを聴いていた日本人リスナーのKano Arigaさんからお聞きした貴重なインタビューを掲載しています。

これまでの記事
〇プロローグエピソードなぜArnoffさんからお話を聞けることになったの?!というあらすじ
〇インタビュー前編:ArnoffさんがTMGEを知ったきっかけや、ロンドンで初めて彼らに会った時のエピソード、その後のメンバーとの交流などについて

▶ロンドン初のインディペンデントラジオ Xfmの誕生

Mr.Arnoff:私がDJになったきっかけは、偶然のことだったんだよ。友人のStrawbsのDave Cousinsが

ロンドンのラジオ局の免許を取ろうとしていたから、私はリサーチを手伝った。その後、免許の取得に成功してできたのがXfmだったんだ。ロンドンで初のインディペンデントなラジオ局ができたということで、とても大きな話題になったよ。97年のことだ。

当時のイギリスのラジオは非常に限定的で、非常に保守的で、とてもつまらないものだった。そして、ヒット曲やシングル曲以外はまったく知らないようだった。

だから例えば・・・
The Leavesや

Wimple Winch

のようなバンドだったり、

その後の時代のバンドである、
The Scientists

The Gun Club

The Cramps(↓ファーストアルバム「Songs the Lord Taught Us」のジャケットカバーはArnoffさん撮影!)

のようなバンドの曲が流れることは、当時のイギリスのラジオ局ではありえなかった。
NY DollsやMC5についても同様だ。だから、Xfmは現状を変えて、イギリスの人たちにもっといい音楽を聴いてもらうチャンスだと思ったんだ。

▶ストイックに音楽を流しまくる番組!“Dave Arnoff Show”

私はXfmでオンエアーする曲を提案したいと申し出た。すると彼らは、「それだったら自分の番組を持つべきだ!」と言って、私に放送枠をくれた。私は人前で話すのが好きではないし、DJとしての経験もなかったけれど、必要な準備を進めてなんとか「The Late Dave Arnoff」をスタートしたんだ。

私の番組では、ゲストへのインタビューや電話出演、DJのおしゃべりなんかはしなかった。そういうのは時間の無駄だと思っていたからね。自分が聴きたい音楽をただ流すだけの番組を作ったよ。
番組では、初期のR&B、ラウンジ、ブルースなど、あらゆる種類の音楽をたくさんオンエアーしたね。そうそう、もしあなたが60年代のガレージ&サイケデリアを味わってみたいと思ったなら、Lenny Kayeのコンピレーションアルバム「NUGGETS: ORIGINAL ARTYFACTS FROM THE FIRST PSYCHEDELIC ERA: 1965-1968」がおすすめだよ!


当時のXfmの経営陣は、私が自分のレコードをかけて、好きなようにやっていることを喜んでくれていたようだったよ。
しかし、それは1年しか続かなかったんだ。ラジオ局はCapital Radioに売却され、私たちのような意見を言うDJは全員クビになった。何を流すのか指示されることに満足している人たちだけが残り、最終的にはXfmはただの退屈な放送局になってしまったんだ。
それでも、自分の番組を担当していた1年間は良い時間だったし、ラジオDJは私にとって素晴らしい仕事だった。100ClubでDJをしたり、ロンドンの人たちにTMGEを紹介したりと、後につながる多くのチャンスにもなったし、今でも大切な思い出だよ。

▶当時のXFMリスナーArigaさんのお話

Arnoffさんとメッセージのやりとりをしている中で、「もしXfmについてリスナー側の話を聞きたかったら、当時イギリスで私のラジオを聴いていた日本人のMs.Arigaにコンタクトを取ってみてね!」とのご提案をいただきました。(なんだか探偵ナイトスクープっぽい・・・!)
これは貴重なお話が聞けそう!ということで、探偵気分でArigaさんにメッセージをお送りしました。
以下はArigaさんへのインタビューです!

○Arigaさんがイギリスに滞在していたのはいつごろですか?
1997年9月から翌年8月までです。London東部に滞在し、Cordwainers Collegeという学校で革製品のデザインを学んでいました。ラジオを聴いていたのもその頃でしたね。元々音楽が好きで、ラジオは自分の趣味以外のものも聴けるので、よく部屋で流していました。

○Arnoffさんのラジオを知ったきっかけについて教えて下さい
番組を知ったのは偶然です。当時Xfmという恐らく独立系のラジオ局ができたばかりで、メインストリームとは違う曲がよくかかっていました。「The Late Dave Arnoff」 もそのひとつで、たしか毎週土曜夜深夜1時くらいの時間帯の番組でした。

○どのような番組でしたか?
おしゃべりはほとんどなく音楽を流すことが中心の番組でしたね。サイケやガレージ系、Nick Caveとかがよくかかっていたこと、番組の最後に、「Rest in piece」とDavidが言っていた事を覚えています。

○ラジオを聴いていて印象的なできごとはありましたか?
ある日、いつものように「The Late Dave Arnoff」を聴いていたら、急に日本語の曲が流れ、びっくりしたことがありました。流れていたのは日本のThee Michelle Gun Elephantというバンドの曲で、彼らはレコーディングかライブでロンドンに来ていたということを知りました。後で調べてみるとその曲は『Boogie』というタイトルでした。
帰国後に改めて彼らの曲を聴いてみて、好きになりました。ライブに行くことができなかったのは残念でしたが、ラジオをきっかけに彼らを知ることができてよかったです。

○Arnoffさんと会ったのはいつのことですか?
2019年の新代田Popoの写真展で初めてお会いしました。
ラジオを聴いていた当時、私は彼のことをラジオ局のDJだと思っていたので、特に連絡を取ろうと思ったことはありませんでした。
ですが、何年か前にふと番組のことを思い出して、Facebookで名前を検索してアカウントを見つけました。その後のメッセージのやりとりで、彼がフォトグラファーで、ラジオはたまたまあの時だけやっていたことを初めて知りました。
20年以上も前の良い思い出が、最近つながってきて、とても嬉しく思います!

偶然のつながりで広がるロックンロールの輪

いかがでしたでしょうか?
補足として、Xfmは、現在ではイギリスを代表するラジオ局RadioXとして継続しています。Arnoffさんの番組はもうありませんが、現在放送されているRadioXの番組は、日本からでもアプリやサイト経由で聴くことできるので、チェックしてみてください。(RadioXリンク


まとめになりますが、今回のインタビューの中で印象的だったのは「つながり」というワードです。Arnoffさん、Xfm、TMGE、Arigaさんがそれぞれの偶然によって、国や国境、そして時を越えて結びつきました。
ただきっかけは偶然でも、大元には「ロックンロール」という共通項があり、その大きな輪の中で生まれた、ある意味必然的な「つながり」だったのではないかとも思います。そして、私自身もその輪の一人で、だからこそ今回の記事が書けたのではないでしょうか!
ちょっと大げさな表現をしてしまいましたが、Arnoffさんに面白いきっかけをいただけたことを光栄に思います。感謝いたします。
私はArnoffさんにまだ直接お会いしたことはないので、次の来日、もしくは私が渡英した際には対面でインタビューをしたいです。そのためにも英語を頑張ろうと思います・・・!(脱英検準二級)

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