ロック写真家David Arnoff INTERVIEW(前編)-Mr.Arnoff & THEE MICHELLE GUN ELEPHANT-
前編では、ArnoffさんがTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTを知ったきっかけや、ロンドンで初めて彼らに会った時のエピソード、その後のメンバーとの交流などについてご紹介いたします。
(なぜArnoffさんからお話を聞けることになったの?!というプロローグエピソードはコチラを御覧ください。)
以下は、Arnoffさんにお聞きしたエピソードです。
▶1997年 TMGEとの出会い
Arnoffさん:TMGEと出会ったのは、ロンドンでXfmというインディペンデントのラジオ番組を担当していた時だった。 私の番組は60年代のアンダーグラウンド・ミュージックが中心だったけれど、それ以外にも、私が発見したロンドンのリスナーがまだ聴いたことがないような音楽をたくさん流していたよ。Thee Hypnotics、Gallon Drunk、Soundtrack of Our Livesだとかね。
その時に、『Chicken Zombies』のプロモーションCDをもらったんだ。まずジャケットがBlue Cheerの『Vincebus Eruptum』とThe Kinksの『Something Else』のオマージュという素晴らしい見た目で、とても興味をそそられたよ。アルバムの内容はジャケット以上に素晴らしいもので、彼らの曲を番組内でよく流していた。彼らはまるでDead BoysやSonicsのような雰囲気だったね。
そんな折に、プロモーターのマリコという女性が、彼らを紹介してくれたんだ。それが1997年のこと。彼らがカムデンにあるDublin Castleという、楽屋として向かいの日本料理店まで行かなくてはいけないくらい小さな会場で演奏した時だったね。
彼らとの間には言葉の壁があったけど、マリコが通訳をしてくれたおかげで解消することができた。だから、マリコは私たちにとって本当に大切な存在なんだ。(彼女は現在、近所に住んでいて、今でもずっと友達だ。彼女の夫のMotörheadのギタリスト、Eddie Clarkeが亡くなってしまったことは本当に残念だった。)
とにかく、それが私とTMGEとの出会いのきっかけだったよ。初めて見たTMGEは、これまで見てきた最高のライブバンドの一つだった。
イギリスのラジオで彼らの曲を流したDJは私だけだったんだけど、彼らはそのことをとても感謝してくれていた。マネージャーのノノさんは特にね。
ツアーデータ 1997年「World Stereo Lynch Tour」 4月3日 London-Boston Arms 4月8日 London-Power Haus 4月12日 London-Dublin Castle 【出典】2009年発売のベスト盤「THEE GREATEST HITS」付属「1994-2003LIVE&RELEASE HISTRY」 ※お手持ちの方はぜひ確認してみてください!
▶1998年 ダムドTシャツの秘密
その次の年の1998年に彼らが来た時には、Boston Armsと100Clubでのライブを見に行ったよ。
Boston ArmsのライブにはRat Scabiesも一緒に連れて行ったんだ。
彼らがThe Damnedを好きだってことも、バンド名の由来が『Machine Gun Etiquette』からだってことも、知っていたからね。Rat Scabiesは、Dr.FeelgoodとWilco Johnsonの影響について、少しアベと話していたよ。
TMGEのとあるジャケットカバーには、チバがDamnedのTシャツを着ている写真がある。これはすごく昔にDave Vanianが私にくれたTシャツで、私はそれをチバにプレゼントしたんだ。だから、全てはつながっているんだよ。
ツアーデータ 1998年「World Chicken Zombies Tour in the U.K」 5月14日 London-Boston Arms 5月16日 London-Dublin Castle 5月19日 Manchester-Boardwalk 5月20日 Brighton-Free Butt 5月29日 London-100Club 【出典】2009年発売のベスト盤「THEE GREATEST HITS」付属「1994-2003LIVE&RELEASE HISTRY」
▶1999年 横浜アリーナ公演と100Clubでの共演
その後も彼らとの交流は続いて、私たち夫婦を日本に招待してくれたんだ。しかも、ホテル代まで出してくれて。横浜スタジアムで14,000人の観客を前に演奏をしてる彼らを見て、私は本当に驚いたよ。ロンドンの小さなクラブでしか見たことがなかったから、こんなに大きなバンドだとは思いもしなかったんだ!
1999年のロンドンでの公演は全て見に行ったね。
100Clubでのライブでは、私がDJをしているイベントに好意で出演をしてくれたんだ!
ツアーデータ 1999年「WORLD GEAR BLUES TOUR IN UK」 8月27日 London-100Club “CLUB POPCORN” 9月2日 London-Boston Arms “DIRTY WATER” 9月3日 London-The Garage 9月4日 London-The Wag Club “BLOW UP” 【出典】2009年発売のベスト盤「THEE GREATEST HITS」付属「1994-2003LIVE&RELEASE HISTRY」
その後、New YorkのCBGBでも彼らを見た。
実は1月の横浜でのライブの後に、私とチバはこんな話をしていたんだ。
彼は私に「TMGEがNew YorkのCBGBで演奏することはできるか?」と聞いてきた。私は笑いながら「CBGBは横浜アリーナの楽屋よりも小さい会場だよ。」と答えたんだ。でも、彼はとにかくそこで演奏したいようだった。CBGBは歴史のある場所だからね。
だから私はCBGBでの彼らのライブを見ることができて幸運だったよ。CBGBの観客たちも彼らを愛していたよ。
ツアーデータ 1999年「WORLD GEAR BLUES TOUR IN US」 9月8日 New York-CBGB 9月10日 Cleveland-Pat’s in the flats 9月11日 Green Bay-Concert Cafe 9月12日 Normal-The Gallery 9月15日 Missoula-Jay’s Upstairs 9月17日 Seattle-Break Room 9月18日 Portland-Satyricon 9月21日 San Francisco-Bottom of the hill 9月22日 Hollywood-The Garage 9月24日 Denver-15th St.Tavern 9月28日 Memphis-South Land 9月29日 Atlanta-Criminal Record 9月30日 Atlanta-Echo Lounge 10月1日 New Orleans-Dexie Tavern 10月2日 Dallas-Club Clearview 10月4日 Austin-Emo’s 【出典】2009年発売のベスト盤「THEE GREATEST HITS」付属「1994-2003LIVE&RELEASE HISTRY」
▶2000年 最初で最後のフォトセッション
2000年にはロンドンのLA2のライブにいったよ。これが彼らを見た最後のライブだった。
彼らを撮影したのもその時だ。
私はこれまでも彼らを撮りたいと言っていたんだけど、彼らは私が写真家であるということを知らなかったんだ。だから本気にしてくれず、ずっと先延ばしにされていた。
ようやくチャンスが訪れたのは、彼らのロンドンでの最後の夜。ほんの数枚だけ、すぐに撮影した。場所はよく覚えていないけれど、彼らのホテルの近くのどこかだったと思う。
ツアーデータ 2000年「TMGE EUROPE TOUR」 4月14日 London-LA2 4月18日 Rennes-L’Antipode 4月19日 Paris-Le Divan du monde 4月20日 Evreux-L’Abordage 4月21日 Bourges-Germinal ”Le Printemps de Bourges” 【出典】2009年発売のベスト盤「THEE GREATEST HITS」付属「1994-2003LIVE&RELEASE HISTRY」
▶ArnoffさんとTMGE
私はイギリス・アメリカ・日本の3つの国でTMGEを見たんだ。どのライブでも彼らはとても素晴らしく、大人気になるにふさわしいバンドだと思った。
アベが亡くなってしまったのは本当に残念だ。彼は素晴らしいギタリストで、ステージ上でとても強い存在感を放っていたからね。でも、一番パワフルでカリスマ的だったのはチバだと思う。
ウエノとは言葉の壁もあってあまり話せなかった。メンバーで一番英語が上手かったのはKuだったね。
TMGEは今まで見た中で最高にクールなバンドだったよ。
いかがでしたか?
個人的には、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTの海外での公演にまつわるエピソードはあまり聞いたことがなかったので驚きでした。改めてツアーデータを調べてみると、思っていた以上にコンスタントにイギリスに行っていたこともわかりました。後追いでファンになったため、こういった「確かにバンドが存在した!」と実感できる具体的なお話を聞くと非常にワクワクします。
もし、本記事に関連したエピソードをお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひ編集部までご連絡ください!(Twitter)
後編では、ArnoffさんがDJをつとめていたラジオ局、Xfmについてのお話をご紹介します。当時、ロンドンでそのラジオを聴いていた日本人の方にもお話を伺えたので(なんだか探偵ナイトスクープのようです・・・!)そちらのエピソードも合わせてご紹介します。
〇インタビュー後編はコチラ