ラモーンズファンクラブ会長 畔柳ユキINTERVIEW(後編)

ラモーンズファンクラブ会長 畔柳ユキINTERVIEW(後編)

ラモーンズファンクラブジャパンの会長であり、ロック・フォトグラファーとしても活躍中の畔柳ユキさんにインタビュー。

後編では、ファンクラブ誕生の経緯やユキさんから見たラモーンズメンバー、2016年のNY&LA聖地巡礼ツアーの様子などについてお聞きしました!
ユキさんにご提供いただいた、貴重なお写真と共にお楽しみください!

ジョニーからの指令でファンクラブを結成!

●ユキさんが会長を務めるラモーンズ・ファンクラブ・ジャパンについてお聞かせください。
ファンクラブは92年にスタートしますが、どのようにして始まったのでしょうか?

最初は私が入りたくて、ジョニーにアメリカにファンクラブはないのかを聞いたんだよね。そうしたら「ない」って言われて「じゃあ他の国にはないの?」と聞いたら、「一応イギリスにはある。でもあそこはジョーイ贔屓で、ジョーイのニュースばっかりだから入らなくていい!」と言う(笑)最終的には「全然ラモーンズとしてフェアなものじゃないから、お前が作れ!」って言いだした。そのときは「いや私は作りたいんじゃなくて、会員バッジとニュースが欲しいんだよ!」って返事したの。運営なんて興味なかったから。
でもそんなやりとりが何度も続くうちに「じゃあやってみようかな。」という気持ちになったから始めることにした。まあでも鬼軍曹からの指令に近いよね(笑)

●それはやらないわけにはいきませんね(笑)
当時はラモーンズ以外のバンドでも、私設ファンクラブというものは沢山あったんですか?

あったよ。ファンクラブをレコード会社が拾う形でサポートして、リリース情報やニュースを教えてあげたりという、ギブ・アンド・テイクの関係が成り立っていた。ニュースレターを作るのにオフィスのコピー機を使わせてあげたりって感じでね。
なんせ当時は封筒の時代だったからね。

●封筒の時代?

ネットでニュースを配信というわけには行かないから、何をするにも紙に印刷して封筒に入れて郵送で届けるっていうのが当たり前の時代だったってこと。レコード会社側としても、その作業をやってくれるなら助かるっていう感じだった。

●まさしくニュースレターですね!たしかに、メールマガジンを一斉送信とは行きませんもんね。

そうそう。そんな風にレコード会社とファンクラブが二人三脚でやってた。
例えば、レコード会社の担当者がファンクラブの子たちをオフィスに呼んで、「次出すCDの予約特典はどんなのがいいかな?」とか「どんなグッズが欲しいと思う?」とか、相談したりもしてたよ。
当時はファンとレコード会社は良い関係が築けてた。
レコード会社の人たちも、会社の売り上げのためというよりは、「このアーティストを担当したい!」「このアーティストはこれから売り出していくべきだ!」って自ら手を挙げてやってるようなが熱心な人が多かったから、その熱量とファンの熱量が合致したっていうのも大きかったよね。

ファンクラブ会報誌の「LOCO PRESS」。
ラモーンズ関連のニュースやメンバーへの独占インタビュー、ライブレポートなどが掲載されていた。

●熱意で色んなことが動いていく時代だったんですね。

だから面白かったのよ。
当時はアナログレコードに変わってCDがリリースされ始めた頃だったんだけど、「ラモーンズをCD化したい!」ってワーナーの担当者に伝え続けてたら本当に実現しちゃった。本国アメリカに先駆けて日本でね。
ジョニーが私にファンクラブを作るように言い続けたり、いつも意見を求めていたのは、ファンの声がダイレクトに反映される時代だったからこそっていうのもあったんじゃないかな。

ドキュメント映画では語られなかったラモーンズ

●続いて、ユキさんから見たメンバーについて教えてください。

モーターヘッドの「R.A.M.O.N.E.S.」の歌詞がすべてを物語ってる気がする。レミーは何でそんなにラモーンズのことが分かるの?ってくらい言い当ててる(笑)
初めて聴いたときはびっくりした!

メンバーそれぞれというところでは、

ジョーイはナイーブで、おっとりしてて優しい感じ。でも映画『エンド・オブ・ザ・センチュリー』でも描かれている通り、強迫神経症だからバンドの中にいると極度のマイペースになってしまう。
対して、ジョニーはバンドのリーダーでもあるから、常に前進することを考えてバンドの見え方も考えていたな。責任感がある。
ジョーイもジョニーも意識がファンの方を向いていると感じていたのは日本だからかなあ。
マーキーは今でこそ精力的に活動してるけど、現役時代はすごく地味だった。一度クビになって再加入してからは、うしろめたさがあるのか、3歩後ろを行くメンバーという感じだったよ。
CJは新人だし、最年少だから「イエッサー!」って従う子分という感じでよくジョニーに怒られてたよ。

そんな印象かな。とにかく軸がしっかりしているので統制がとれているバンドだなと思えたよ。

●ジョニーとジョーイについてはいかがでしたか?

映画「エンド・オブ・ザ・センチュリー」の影響で不仲だったってことばかりが強調されがちだけど、それだけではなかったと思ってる。2人とも、「ラモーンズ」っていうバンドの元では団結をしていたし、ちゃんと1つになれていたから。正反対の2人だけど、バンドをやっていく上では、きちんと同じ方向を向いてた。

●私自身も、「エンド・オブ・ザ・センチュリー」の影響で完全に分断されていたのかなと思っていたのですが、ユキさんの著書を読んだり、ファンクラブに入会して様々なお話を聞く中で、2人の印象が変わりました。
特に、ファンクラブの企画の秘蔵映像上映会で、楽屋でジョニーとジョーイがライブの内容について相談をしあっている様子を見て、大きな溝があったとしてもラモーンズを全うしていたんだなと思いました。

そう思ってもらえたなら良かった。
でもそういう部分って伝わってないんだよね。「エンド・オブ・ザ・センチュリー」が上映していたときは、多くのファンがショックを受けていて、本当に悔しかった。
だから本を書いたのも、そのことをきちんと伝えたいと思ったからっていうのはある。

「ファンクラブは続けるべきだ。」

当時を振り返りながらお話をしてくださったユキさん。

●バンドが解散してしまうと、ファンクラブも同じく解散してしまうことが多いと思うのですが、ラモーンズファンクラブが今なお存続しているのはなぜでしょうか?

実は、ラモーンズが解散した96年にファンクラブも一度解散しているんだよね。
それでも再始動したのは、解散後も入会希望者が後を絶たなかったから。今でも同じで、世代を超えた新しいファンが毎年入ってくる。
ジョニーにも、一度ファンクラブを解散させたときに、「バンドがなくなってもファンクラブは続けるべきだ。」って言われたことがあって、そのときは「いや、そもそもバンドを解散させたのはお前だろ!」って思ってたけど、今なら「ファンクラブは続けるべきだ。」っていう言葉の意味が分かる気がする。

●ファンクラブの存続はジョニーの希望でもあったのですね。

例えバンドがなくなってしまったとしても、誰かが動かしていれば、バンドって生き続けるんだよね。曲が良いバンドは間違いなく。
ラモーンズの音楽は、これから先もきっとビートルズのように聴き継がれていくから、ライブを見たことがない後追いのファンも増えていくでしょ?私は現役時代をたっぷり見てきたから、自分の役割はラモーンズで見たこと、体験したことを伝えていくことだと思っているの。バンドって年月が経てば経つほど、勝手にレジェンドと呼ばれるようになっていってしまうから、現役時代のリアリティをそのまま伝えたい。例えば来日している時は「ここでメンバーと待ち合わせをしたんだよ。」とか「この立ち食い蕎麦屋でジョニーはえび天そばを食べたんだよ。」とか、日本にいたこと、それが決してレジェンドな振る舞いではなかったこと、そのあたりと自分の思い出を、後の世代のファンにシェアして伝えられれば、もっとラモーンズが身近になる。ネットの中にいるバンドじゃなくなる。私が死んでも「亡くなったユキさんが言ってたんだけど、ラモーンズって新宿の立ち食い蕎麦屋にも行ってたらしいよ。」という実話が伝わる。そして今度は聞いた人たちが語り継いでいってくれる。そうすれば、日本人にとってラモーンズがより近い存在になる。それが大事なんだと思う。そうすればバンドは止まらないから。

まだまだラモーンズは止まらない!

●ファンクラブで、これからユキさんがやりたいと思っていることはありますか?

2016年に企画したニューヨークとLAの聖地巡礼ツアーをまたやりたい。
「もうやらないんですか?」ってよく聞かれるんだけど、行きたい人がいて、自分の体が動く限りは何度でもやりたいと思ってるよ。でも、聖地の方がどんどん消えて行ってしまっている。そういう意味では次が限界なのかなという思いもある。

●2016年の聖地巡礼ツアーについては、著書『Thank You RAMONES』でも語られていますが、どんな旅でしたか?

謎の力が働いているとしか思えないほど、奇跡の連続だったよ。
まず、初日のピザ屋でいきなりラモーンズTシャツを来た店員と遭遇するところから始まった。そのお兄さんに声をかけられて。私たちはみんなラモーンズTシャツを着てたから「ヘイ、ラモーズ、俺もラモーンズだぜ」って。それで「私たち、このピザ屋に来たの」と言うとその店の人だったから大歓迎してくれてね。

ジョニーもよく行ってたピザ屋前で、クイーンズ・ミュージアムで開催されていた
ラモーンズ展のTシャツを着た店員のお兄さんと記念写真。これが初日の一軒目のスタート。

ピザ屋を出て歩いて行くと、CBGBでラモーンズを撮影していたカメラマンに出会ったり、次々とラモーンズに関係する人が現れた。普通じゃ絶対に入れないフォレストヒルズ・ハイスクール(メンバーの母校)の校舎に入れたり、空港の広いターミナルの中に一軒しかないCBGBのショップが私たちの乗り場(ゲート)の隣にあったり、、、引き寄せがとにかくすごかった。
なんだかラモーンズのメンバーに守られてる感じがした旅だったね。

70年代にラモーンズやCBGBに出演していたバンドを取っているカメラマンのゴドリス氏と偶然遭遇。
スマホでラモーンズの当時の様子を見せてくれた。これはCBGBの前の道。

同じ「好き」でも熱量の差ってあると思うんだけど、その「好き」を本当に高いレベルの人達との旅だったから、参加者の一体感もすごかった。仲良くなろうとか思わなくても自然と団結するし分かり合えるんだよね。自分にとって1番大好きなこと、人に集中しているというか、自分の気持ちをすごい高いテンションで分かり合える旅だったから。それって本当にすごいエネルギーなんだよ。

チェルシー・ホテルのすぐそばから地下鉄にのりバワリーへ向かう途中の一枚
ニュージャージーにあるジョーイのお墓へみんなで行った。
ラモーンズ発祥の地に聖地巡礼に来た日本のファンクラブのメンバーとして、日系の新聞のトップに掲載されました。
掲載記事のWeb版がこちらから読めます(PC閲覧推奨)→https://www.nyseikatsu.com/editions/604/html5/index.html

●ミラクル続きのすごい旅だったんですね!
ラモーンズを「好き」な気持ちを分かり合えるという感覚は、私自身もファンクラブに入会して、色んな人とお話する中で感じました。ラモーンズをどれだけ知っているかということや年代に関係なく、お互いが「好き」な気持ちをリスペクトしあっているといいますか。年上の方でも年下の方でも、お話していて楽しいです。

うちのファンクラブは年齢関係なく仲がいいよね。あと、イベント後の打ち上げ参加率が異常に高い(笑)そういう一体感も結局は、ジョニーが作ったものなんじゃないかな。ファンクラブを作らせた張本人だし。
ジョニーは常に「ファンがハッピーなのは何か?」ということをすごく気にかけていたからね。
だから今、ファンクラブの会員同士が上手くやれてるのは、2020年の一番のいい形だと思う。

●ファンクラブの今後というところではいかがですか?

CJの引退はファンクラブにとっての大きなターニングポイントになるだろうから、CJが引退したらもうやめようかなと考えてた。でもやりたいことが増えてきちゃったから、「CJが引退しても関係ない!」って今は思ってるかな。
チッタに巨大パネル写真が立つことが決まったのも、こうやって続けて来たからこそだし。まだまだラモーンズは止まらないなって思う。だから、そのために何ができるかってことは常に考えてるよ。

●今のファンクラブの様子を、ジョニーが見たらなんて言うと思いますか?

何て言うかは簡単に予想がつくよ。
「ファンのためにポスターを送ろうか?」とか「次はどんなことやる?」って本当に常に気にかけていた。だから今も気にかけると思う。それで「ファンクラブは誇り。」って言うと思うよ。例えばファンクラブが作った来日公演プログラムを渡した時も「グッド・ジョブだ。」と言って、日本語は分からないのに1ページずつじっくり読んでた。ところどころに出てくる数字や英語の文字を探しては、「この5は何の数字?」みたいに質問しながら。
とにかくラモーンズ・ファンクラブ・ジャパンのやることは、気にしていたし良ければ評価し、間違ってたら怒られる(笑)過去にも、レコード会社とのパーティで偉い人に「日本には俺が作らせたファンクラブがあるんだぜ!」って自慢してたくらいだしね。

●会員として本当に嬉しいです。リアルタイムで見ることは叶いませんでしたが、ファンクラブにいることでラモーンズの軌跡に関われているような気がします。そして、今日までファンクラブが存続しているのは、ユキさんが尽力されてきたからこそと思います。
いわゆる「ゆとり」と言われる私の世代は「頑張ったところで…」となにかとやる前から諦めてしまいがちな部分もあるのですが、熱意を持って行動していくことは本当に大切だなと思いました。

うん。熱意はどんどん外に出したほうがいいよ!無駄なんてことはないから。
ファンクラブを続けていく上で、攻撃されてへこむこともあるし、いつまで続けられるか考えることはあるけど「ファンクラブをなめるなよ!」って気持ちでここまで来れてる。
あとは期待しないことだよね。他の人がどういう見方をするかは分からないし、他人の評価も関係ない。まず私自身が満足できればそれでいいと思ってる。その次はファンの満足。そこだけかな。

●最後にラモーンズファンにメッセージをお願いします。

一人でも多くの人に、生身のパンクバンドとしてのラモーンズを知ってもらいたい。「エンド・オブ・ザ・センチュリー」の印象で止まってしまっている人は、ぜひ本を読んでみて欲しい。

●ありがとうございました!


プロフィール
畔柳ユキ(Yuki Kuroyanagi)/RAMONES FAN CLUB JAPAN会長・ロック写真家

RAMONES FAN CLUB JAPANを92年から運営。ジョニーラモーンが亡くなるまで、16年間文通をしていた。ロック写真家として、FUJI ROCK FESTIVALやSUMMER SONICなど、日本を代表するフェスティバルでは初回から撮影を行なう。

お知らせ
クラブチッタ x RFCJ】ラモーンズ巨大パネルを一望できるイベントが開催決定!
クラブチッタの2階のBAR「アティック」で、ラモーンズだらけのイベントを開催 !
窓から見える10mのジョニーやジョーイとツーショット撮影コーナーや、チッタにまつわるラモーンズの写真展やDJが楽しめます。ピザの宅配もあり!?
こちらのイベントはファンクラブ会員以外の方にもご参加いただけます。開催は、秋頃を予定。確定次第ファンクラブホームページにてお知らせしますので、乞うご期待!

著書の紹介
『I Love RAMONES』リトルモア/2007年

Don’t Look~?編集長イチオシポイント!

このインタビューを読んで、もっとユキさんについて知りたいと思った方はぜひ本書を読んでみて下さい。
憧れだったラモーンズを追いかけていくうちにジョニーと文通をするようになり、ファンクラブを結成し…というと「スター」と「ファン」の夢物語のように思うかもしれませんが、違います!これは熱意と愛のDIYパンクロックストーリーです。ジョニーとユキさんの全力投球な熱いやりとりは必見です。
「好き!」という気持ちでひたむき突き進んでいけば、夢は実現できる。ラモーンズファンに限らず、やりたいことや叶えたい夢を持っている人にもぜひ読んで欲しいです。

『Thank You RAMONES』リトルモア/2017年

Don’t Look~?編集長イチオシポイント!

続編となる本書では、バンド解散後のファンクラブ運営の葛藤や、残されたラモーンズメンバーたちの想いや活動について綴られています。
バンドが解散してしまっても、オリジナルメンバーがいなくなってしまっても、ラモーンズは止まらない。心の底から「日本のラモーンズファンでよかった。」と思える一冊です。
ニューヨーク&LAの聖地巡礼ツアーのページは、参加しているような気持ちで読むととてもワクワクします!


協力 : クラブチッタ川崎 https://clubcitta.co.jp/
ラモーンズ・ファンクラブ・ジャパンhttp://www.ramonesfanclubjapan.com/index.html

INTERVIEWED BY タムラモーン
PHOTO BY カレー・ラモーン

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